「声が高い」

さっき、「ロビンソン病」を読み始めたのですが。


4つ目の、「声が高い」で、この本を全肯定したくなりました…(笑)。



「たとえば一重の目が嫌だったら化粧とかアイプチとか整形とか、いろいろ手段はあるものだが、声が気に入らない場合はどのようにすれば変えることができるのだろう。
わたしの声は、高い。しかも現実問題として舌が短いため、どこか舌ったらずな感じがする。話し方にしまりがない。」



…全文引用したくなっちゃいますが、このくらいで。



それに、「説得力がない」ってゆうのがとっても判る。

ふにゃ、となる声、というか。

緊張すると上ずるっていうのもね…困るんだよね。




低く話す癖、は、かなり難しいと思いますけど。
(一時期それをしようとして、声が出なくなった事がある。困ったものだ)



でも、そんなことって、気付かずにいられるものなんだろうか。
小学生の時には、もう、自分の声が高い、って悩んでたけどなぁ。

あんまり覚えてないんだけど、幼稚園の時に、「きりぎりす」がうまく言えない、と泣いたことがあったらしいし。
(何故突然きりぎりすなのかは謎である。ただ、そういう言えない言葉が幾つもあって、必死で練習していた覚えはある…)





自分で、少女的な声、という表現が当てはまるのかどうかは判らないですが。





あんまり感激したので(共感しすぎて)、即座に更新してみました。
あはは。






続きを読もう。






*追記。
その後(前も)、勿論他にもあちこち「!」となっている。
共感〜、という方も、へぇ…という方も、色々。
ただ、こういう声のことって、エッセイでは意外とありそうで見かけないのもあって、妙に感激したのです、多分。